『心とカラーとアートの対話の場に参加して』

財団法人日本色彩研究所 名取和幸

日本色彩学会誌より


(以下 本文)

 色彩心理という言葉は多くの人にとって非常に魅力的なものらしく,セミナーの受講者アンケートでも関心の高い分野の上位に位置することが多い.ただ,ここでいう色彩心理とは,感覚・認知の色彩心理よりは,パーソナリティ,感情,色彩療法や癒しなど,色と心との関係のことを指すようだ.その点から言っても,今年1月に開催された本講座は待望の企画といえるだろう.実際,多くの参加者に埋めつくされた会場がそのことを物語っていた.
 本講座は,レオナルド・ダ・ヴィンチによる『最後の晩餐』を題材に,創作・心理療法の視点,美術評論家の視点,色彩学の視点から読み解くという試みである.以下にそれぞれの概要と感想を記すが,私の専門の関係から心理系の話が多くなることはご了解いただきたい.
 最初に,アート・メンタルトリートメント・ラボ(AML)を主宰されている臨床心理士の櫻井眞澄先生がにこやかに登場された.氏はカウンセリングの実践歴が長く,ご自身が手がけてこられたクリエイティヴ・セラピィの中から,コラージュによるケースを多数紹介された(摂食障害の男女,うつ病休職者).方法はざっと以下の通り.17色の台紙が用意され,いずれかの台紙上にクライアントはコラージュを製作する(聞き漏らしたのかもしれないが,クライアントにどのように教示されるのかを知りたいと思ったのは私だけではないだろう).そして,ピースの内容,色,切り方,配置,台紙の色等を手がかりに,その人の心のありようを投影分析的に理解する.理解された内容は作者とのコミュニケーションに使われ,問題解決・症状改善が図られるというわけだ.
 特に興味深く拝聴したのは,カウンセリング終結の段階には青い台紙が選択される比率が高くなること,こころの状態が好展開となるときには馬のモチーフが現れることが多いことなどである.また,製作態度が受動的作業から,表現,創作へと移行することは,事例から見て取れた(そこで,氏はこの療法を従来までの芸術療法,表現療法ではなく,創作療法と呼んでおられると推測する).また,「青空を悲しく感じる」心の状態は多くの人とは違うので,そこに問題をみつけるという扱い方が,臨床色彩心理に特徴的な視点だと感じた.これは氏も使用されている「カラー・シンボリズム・テスト」における逸脱色彩の考えと同様である(松岡武「色彩とパーソナリティ」金子書房,1983,1995参照).そして何よりも一番心に残ったのは,「その人にとっての」意味を,「総合的」に「理解する」という姿勢であった.
 続いて,NHK制作の番組「レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐」が上映された.美術史家でニューヨーク近代美術館の教育担当学芸員でもあったアメリア・アレナス女史が,様々な国の老若男女に,「ユダはどの人?」「これはどのような場面?」などの質問を投げかけ,対話が進められる.観賞からの美術教育の実践法が,非常にわかりやすくまとめられた番組であると感じた.
 櫻井先生が戻られ,壁画の中の壁とそれが置かれた修道院食堂の壁が揃って見えるのが,僧の位置であることから,レオナルドはその壁画を依頼者ではなく多くの僧のために描いたのではないか,また,もしかすると『最後の晩餐』は意図的に崩れ去るように作ったのではないかなど,いくつかの推理をされ,持ち時間となった.
 後半は,北畠耀先生により,人間レオナルド,そして,『最後の晩餐』という作品が解説された.非常に豊富な資料を用意され,特に『最後の晩餐』関連年表は,多数の資料を参照され,本講演用に新たに作成された貴重な資料であった. レオナルドの絵画は北畠先生の芸大時代などには模写の対象だったとの話をうかがい,漫画研究家の夏目房之介氏が漫画を模写することで,作者の描き方,心がわかると言われていたことを思い出した.レオナルドと先生との対話はこの時から現在まで続いているのだろうなと思った.豊富な資料や図版により,天才の軌跡(奇跡)をたどりながら講演は進められた.マルチプレーヤーとしての天才レオナルドの紹介,そして『最後の晩餐』について.色彩のみならず,構図,画面構成などが,構想段階から完成作品までを語られた1時間余りの講演であったが,おそらく時間が許せば,何時間でも話を続けられたかったのではないだろうかと思った.
 私事になるが,最後の晩餐に関する文献として北畠先生ご推薦の書籍一片桐頼継著『レオナルド・ダ・ヴィンチ 復活「最後の晩餐」』,小学館,1999?を早速購入して読んだ.実に多くの事実が,数多くのカラー図版により分かりやすく解説されたコンパクトな良書であると思う. これらの講演を振り返り,視点と対話という言葉が印象に残った.作り手と臨床心理士との対話,絵画と絵画の鑑賞者同士の対話,作品と色彩学者との会話の場に参加し,作品の持つ意味をとらえる際の視点,アプローチは様々でも,いや,だからこそ,多様な意味を明らかにすることができることに改めて気づかされた有意義な一日であった.